2010年06月09日
アレッポ4日
アレッポ到着すぐに宿探し
意外と早くいいところ見つかりました。
で、買い付け後どのくらいで送れるか調べに郵便局へ
で、探しても、探しても見つからず、
聞いてみたら見つけたところ、ちゃんとあってて
郵便局今日やっていません。
そういえば全ての店がしまっている様な、、、、、
とりあえずスーク(マーケット)へ、、、、、、、
全て開いていません、、、、、、、、
どうやら今日は礼拝のそんな日みたい。
であるきつつ、アレッポ城へ、
途中なんとなく、人の気配があってはいってみたらモスクでした。
シリアでは異教徒も入っていいみたい、モスク初潜入です。
今日は全てが休みな日なので、礼拝所は子供と大人でごった返していました。
中庭は子供の運動場みたいです。

ひと昔前、寺の境内で子供が遊んでいるのと同じなのだと思います
なんか、モスクってもっと神聖な場所かと思っていたので、
なんか、イスラム教イメージ変わりました、明るくて楽しそうです。
で、ちょっと子供見つつ、くつろぎつつで、また城の方に、
アレッポ城凄いです、攻め落とせる気がしません。
おおき過ぎで全景が写せません。
中は遺跡なのですが、最後に生きている場所が、
廃墟からそこだったので、あっけにとられました。
結局閉館時間までいて、外へ、
かえってもしかたないなと思っていたら、鼓笛隊が!
で、それ聞きつつ写真とっていたのですが、子供に囲まれて大変でした。
こっちのは、結構悪ガキで頭に来ます。
蹴散らす訳にも行かないので、別の場所に移動して、
すわって見ていました。
隣りにいた人は、そんな後だったので始め無視していたのですが
ジュースや豆や、いろいろくれました。
なんか警戒するといい人だったり、
ずっとニコニコしていると、止めどなく絡まれるので
なんだか難しい国です。
暗くなり、ライトアップされたのを見て宿に戻りました。
意外と早くいいところ見つかりました。
で、買い付け後どのくらいで送れるか調べに郵便局へ
で、探しても、探しても見つからず、
聞いてみたら見つけたところ、ちゃんとあってて
郵便局今日やっていません。
そういえば全ての店がしまっている様な、、、、、
とりあえずスーク(マーケット)へ、、、、、、、
全て開いていません、、、、、、、、
どうやら今日は礼拝のそんな日みたい。
であるきつつ、アレッポ城へ、
途中なんとなく、人の気配があってはいってみたらモスクでした。
シリアでは異教徒も入っていいみたい、モスク初潜入です。
今日は全てが休みな日なので、礼拝所は子供と大人でごった返していました。
中庭は子供の運動場みたいです。

ひと昔前、寺の境内で子供が遊んでいるのと同じなのだと思います
なんか、モスクってもっと神聖な場所かと思っていたので、
なんか、イスラム教イメージ変わりました、明るくて楽しそうです。
で、ちょっと子供見つつ、くつろぎつつで、また城の方に、
アレッポ城凄いです、攻め落とせる気がしません。
おおき過ぎで全景が写せません。
中は遺跡なのですが、最後に生きている場所が、
廃墟からそこだったので、あっけにとられました。
結局閉館時間までいて、外へ、
かえってもしかたないなと思っていたら、鼓笛隊が!
で、それ聞きつつ写真とっていたのですが、子供に囲まれて大変でした。
こっちのは、結構悪ガキで頭に来ます。
蹴散らす訳にも行かないので、別の場所に移動して、
すわって見ていました。
隣りにいた人は、そんな後だったので始め無視していたのですが
ジュースや豆や、いろいろくれました。
なんか警戒するといい人だったり、
ずっとニコニコしていると、止めどなく絡まれるので
なんだか難しい国です。
暗くなり、ライトアップされたのを見て宿に戻りました。
2010年06月09日
アンタキア〜国境4日
今度は朝一国境越えのバス停へ
街からバス停までのミニバス、ぎりぎりにやっと来たと思ったら
30分出発せず、もう時間は過ぎているのに
ノープロブレムとしか言いません
でやっと時間過ぎて出発と思ったら、
運転手さん途中で、ケーキ買いに行く、
で帰って来てチケット見せながらちょっと怒ったら
ノープロブレム、今日はバスに乗り遅れて行けないとなったら
と思うとドキドキでした。
本当に渋川剛気の気分でした。
で着いたらバスは誰もまだ乗ってないし、全然みんなヨユーな感じ、
日本の感覚で10分前、旅行で遅れると困るから
25分前行動とか全く無駄、通用しません。
そして一路国境へ、昨日とは違いピースな国境、
出国終わり、皆以内と思ったら、免税店の建物まであります。
で、国境の緩衝地帯へ、と思ったら全員で免税店の袋を開け
バスで用意されていた袋へ、いつになく素早いです、
免税店の袋は窓からポイ。
軽く密輸です、、、、、、、、、
そしてシリアの入国へ、ここならスムーズにと思ったら、
なかなかビザ出してもらえません、結局、なんやかんやモメて1時間
シリアの係官は絵に描いた様な悪者キャラばかりです

バスの運ちゃんはみんな待ってるんだって半切れだし、
で別室などいろいろあり、結局なんとかOK
ほっとしました、
と思ったら今度はバスが問題らしい、
密輸とかいろいろばれたのかな、、、、、、
タクシーお金無しで話したから、これで行ってといわれ
タクシーでアレッポへ無事到着
やっと、シリア入国です。
街からバス停までのミニバス、ぎりぎりにやっと来たと思ったら
30分出発せず、もう時間は過ぎているのに
ノープロブレムとしか言いません
でやっと時間過ぎて出発と思ったら、
運転手さん途中で、ケーキ買いに行く、
で帰って来てチケット見せながらちょっと怒ったら
ノープロブレム、今日はバスに乗り遅れて行けないとなったら
と思うとドキドキでした。
本当に渋川剛気の気分でした。
で着いたらバスは誰もまだ乗ってないし、全然みんなヨユーな感じ、
日本の感覚で10分前、旅行で遅れると困るから
25分前行動とか全く無駄、通用しません。
そして一路国境へ、昨日とは違いピースな国境、
出国終わり、皆以内と思ったら、免税店の建物まであります。
で、国境の緩衝地帯へ、と思ったら全員で免税店の袋を開け
バスで用意されていた袋へ、いつになく素早いです、
免税店の袋は窓からポイ。
軽く密輸です、、、、、、、、、
そしてシリアの入国へ、ここならスムーズにと思ったら、
なかなかビザ出してもらえません、結局、なんやかんやモメて1時間
シリアの係官は絵に描いた様な悪者キャラばかりです

バスの運ちゃんはみんな待ってるんだって半切れだし、
で別室などいろいろあり、結局なんとかOK
ほっとしました、
と思ったら今度はバスが問題らしい、
密輸とかいろいろばれたのかな、、、、、、
タクシーお金無しで話したから、これで行ってといわれ
タクシーでアレッポへ無事到着
やっと、シリア入国です。
2010年06月09日
アクチャカレ〜テル アビヤット3日
朝一番で国境へ
アクチャカレ〜テル アビヤット
結構、厳戒態勢なこれまで見た事無いような国境でした。

トルコ側の出国を済ませ、
シリア側へ、
で、シリアへってところで止められ
悪者っぽい係員が電話を一本、
アイム ソーリー ムッシュー、、、、、、、、、、
この国境ではビジターにビザは売れないらしい
で、この限界態勢さと、シリアってところに負けて
ちょっとごねたけど退散、
トルコの出国にキャンセルのハンコが、
まーこんな厳戒態勢の国境と、
出国キャンセルのハンコなんてなかなか貰えないから
いい経験ってことで、
で、また入れなくても困るので。
次は一番メジャーなバブアルハワ国境を目指すためアンタキヤヘ
お金を丁度で終わらせていたので、移動のためまた両替、
絶対余ってしまうもったいない、、、、、
アンタキヤに着いたのはもう7時近くとりあえず、
明日の国境越えのバスをとり
街で宿をとり
もう一度最後の晩餐へ

最後お金余っちゃうから、ちょっといいとこ泊まっても良かったのに
今回に限らず至上最低の宿、最悪でした、
汚すぎてトイレとシャワーは無理でした
一番余裕な、問題のないはずの国境の街に来たはずなのに、
サンダルは壊れるし、不吉です、
渋川剛気が、闘技場に向かうところを思い出しました。
最強の護身術は危ないところに辿り着けない、、、、、、
シリアはいってはダメなのか、、、、、
でも渋川剛気と同じで、ワクワクのが大きいので行きますが
アクチャカレ〜テル アビヤット
結構、厳戒態勢なこれまで見た事無いような国境でした。
トルコ側の出国を済ませ、
シリア側へ、
で、シリアへってところで止められ
悪者っぽい係員が電話を一本、
アイム ソーリー ムッシュー、、、、、、、、、、
この国境ではビジターにビザは売れないらしい
で、この限界態勢さと、シリアってところに負けて
ちょっとごねたけど退散、
トルコの出国にキャンセルのハンコが、
まーこんな厳戒態勢の国境と、
出国キャンセルのハンコなんてなかなか貰えないから
いい経験ってことで、
で、また入れなくても困るので。
次は一番メジャーなバブアルハワ国境を目指すためアンタキヤヘ
お金を丁度で終わらせていたので、移動のためまた両替、
絶対余ってしまうもったいない、、、、、
アンタキヤに着いたのはもう7時近くとりあえず、
明日の国境越えのバスをとり
街で宿をとり
もう一度最後の晩餐へ
最後お金余っちゃうから、ちょっといいとこ泊まっても良かったのに
今回に限らず至上最低の宿、最悪でした、
汚すぎてトイレとシャワーは無理でした
一番余裕な、問題のないはずの国境の街に来たはずなのに、
サンダルは壊れるし、不吉です、
渋川剛気が、闘技場に向かうところを思い出しました。
最強の護身術は危ないところに辿り着けない、、、、、、
シリアはいってはダメなのか、、、、、
でも渋川剛気と同じで、ワクワクのが大きいので行きますが
2010年06月09日
2010年06月04日
2010年06月03日
シャンルウルファ2日 ネムルトダーウへ
やっと待望のネムルトダーウへ
よかったですよー
なんでこんな山奥の山頂に、って感じです。
3人でツアーに行って、一人100TL(6000円)高いですが仕方ないです。
でないと行けないので。
風が今日はめちゃめちゃ強くてグラビティー0が山頂の祭壇みたいな所でできました。
しかも、人いっぱいな時逆側に逃げて、団体がこっちにきたら、もう一度メインの所に行ったので
5分程独り占めで堪能出来ました。
行きにも追い越したのですが、
帰りの途中歩いてあがっている猛者にあいました
多分ショートカットで山を登って来たのだと思うのですが、
うちらのドライバーに道を聞いた事により、
ゲートをくぐってない事が発覚、
売店の人とドライバーは2キロ手前のゲートでチケット買って来いの一点張り
山頂手前に兄弟がいるからこれ以上あがってもそこからは行かせない
歩いて来た人は、2キロ下ったらまた2キロあがって来ないとじゃん
当たり前に無理な話だと思います。
そこまで何10キロと歩いて来ているのに
で、友達が上で待っているから、
チケットはその人が買って来ると見え見えの嘘
僕は半券を持ってるし、ダメなのはわかってますが渡してあげたいなと思い
皆に見えない様に券をちらちら、でもお互い怒っいて見えてません
最後に握手しながらこっそり渡そうと、握り込みながら
でも、そのまま怒って行ってしまいました。
で、売店の人すかさず山頂に電話、
このままではあの人登ったものの、止められて見られません。
で、とりあえず売店の人をなだめつつ、俺のチケット売って、
その人から貰ったチケット代を、今から下るのだしゲートで払えばいいじゃん
同じでしょ、歩いて来た人にくだれってありえないって、何回か説得、
渋々了承で、バイクちょっと借りて追いかける。
で、追い付いて話をすると、そのバックパッカーも納得したんで、
お金貰って半券渡して、ゲートで払う事に、
一人なら、これもっていきなよ、がんばって、で済んだのに
まー、ダメな事だし、あたりまえなのですが、ちょっとかわいそう
今頃、彼は無事山頂まで辿り着けたでしょうか、、、、、、
しかし、ガイドを商売にしていて、歩かれるとお金入って来なかったりで
それはわかるけど、理不尽過ぎ、
チケット代なんて立て替えてあげたり
みんな知っている人なんだから、誰かが貰ってあげればいいのに、
結構な山道何10キロ、この先もで頑張ってるのに、
そんな事もありつつ、なんか今日はネムルトダーウ良かったのに
ドライバーが最悪でいい思い出が台無しです
本当にうるさかったり、くだらないジョークや、独りよがりな歌、
一緒の老夫婦は暑くてばてて、最後は観光どころじゃなくなっているから
エアコン付けてあげって言ってるのに、つけずに窓全開、
窓開けると風と砂埃が凄くて目が開けてられないから、閉めると
暑いからってまた開けて、その繰り返し、散々でした。
こう考えると、チュニジアで3日間お世話になった、
ドライバーさんすごくよかったな、
そのお陰で、交通機関の無い砂漠が、いい旅できたと思います。
今回宿は最高だったのですがね、
ここまでいい宿は初かもです。
干渉しなくて、安くて、そつなく綺麗ってとこは沢山ありますが。
みんな笑顔だし、シャワーもトイレも部屋もきれいだし、
いろいろ助けてくれるし、
ここでツアーが組めれば最高だったのでしょうけどね
まー旅はいい事もあれば、悪い事もあるのも当たり前で
今日はこれからトルコ最後の晩ご飯かな、何食べよう、
明日朝シリア国境へ、ノービザですが、うまくいって
戻って来なくて済みます様に、、、、、、、
ネムルトダーウの写真も載せない事にします
どんな所か知りたい人は検索でもしてみて下さい、
このツアーは、他にもダム、ローマンブリッジあたりから想像する昔のユーフラテス川が凄かったです。
よかったですよー
なんでこんな山奥の山頂に、って感じです。
3人でツアーに行って、一人100TL(6000円)高いですが仕方ないです。
でないと行けないので。
風が今日はめちゃめちゃ強くてグラビティー0が山頂の祭壇みたいな所でできました。
しかも、人いっぱいな時逆側に逃げて、団体がこっちにきたら、もう一度メインの所に行ったので
5分程独り占めで堪能出来ました。
行きにも追い越したのですが、
帰りの途中歩いてあがっている猛者にあいました
多分ショートカットで山を登って来たのだと思うのですが、
うちらのドライバーに道を聞いた事により、
ゲートをくぐってない事が発覚、
売店の人とドライバーは2キロ手前のゲートでチケット買って来いの一点張り
山頂手前に兄弟がいるからこれ以上あがってもそこからは行かせない
歩いて来た人は、2キロ下ったらまた2キロあがって来ないとじゃん
当たり前に無理な話だと思います。
そこまで何10キロと歩いて来ているのに
で、友達が上で待っているから、
チケットはその人が買って来ると見え見えの嘘
僕は半券を持ってるし、ダメなのはわかってますが渡してあげたいなと思い
皆に見えない様に券をちらちら、でもお互い怒っいて見えてません
最後に握手しながらこっそり渡そうと、握り込みながら
でも、そのまま怒って行ってしまいました。
で、売店の人すかさず山頂に電話、
このままではあの人登ったものの、止められて見られません。
で、とりあえず売店の人をなだめつつ、俺のチケット売って、
その人から貰ったチケット代を、今から下るのだしゲートで払えばいいじゃん
同じでしょ、歩いて来た人にくだれってありえないって、何回か説得、
渋々了承で、バイクちょっと借りて追いかける。
で、追い付いて話をすると、そのバックパッカーも納得したんで、
お金貰って半券渡して、ゲートで払う事に、
一人なら、これもっていきなよ、がんばって、で済んだのに
まー、ダメな事だし、あたりまえなのですが、ちょっとかわいそう
今頃、彼は無事山頂まで辿り着けたでしょうか、、、、、、
しかし、ガイドを商売にしていて、歩かれるとお金入って来なかったりで
それはわかるけど、理不尽過ぎ、
チケット代なんて立て替えてあげたり
みんな知っている人なんだから、誰かが貰ってあげればいいのに、
結構な山道何10キロ、この先もで頑張ってるのに、
そんな事もありつつ、なんか今日はネムルトダーウ良かったのに
ドライバーが最悪でいい思い出が台無しです
本当にうるさかったり、くだらないジョークや、独りよがりな歌、
一緒の老夫婦は暑くてばてて、最後は観光どころじゃなくなっているから
エアコン付けてあげって言ってるのに、つけずに窓全開、
窓開けると風と砂埃が凄くて目が開けてられないから、閉めると
暑いからってまた開けて、その繰り返し、散々でした。
こう考えると、チュニジアで3日間お世話になった、
ドライバーさんすごくよかったな、
そのお陰で、交通機関の無い砂漠が、いい旅できたと思います。
今回宿は最高だったのですがね、
ここまでいい宿は初かもです。
干渉しなくて、安くて、そつなく綺麗ってとこは沢山ありますが。
みんな笑顔だし、シャワーもトイレも部屋もきれいだし、
いろいろ助けてくれるし、
ここでツアーが組めれば最高だったのでしょうけどね
まー旅はいい事もあれば、悪い事もあるのも当たり前で
今日はこれからトルコ最後の晩ご飯かな、何食べよう、
明日朝シリア国境へ、ノービザですが、うまくいって
戻って来なくて済みます様に、、、、、、、
ネムルトダーウの写真も載せない事にします
どんな所か知りたい人は検索でもしてみて下さい、
このツアーは、他にもダム、ローマンブリッジあたりから想像する昔のユーフラテス川が凄かったです。
2010年06月02日
シャウルウルファ1日 ハマム編
宿の人に場所をきいたのですが
見つけられないよって言われました。
でも、トライしてみるよっていってバスへ、
完全郊外で不安でしたが、なんとかたどりつけました
入り口はこんな感じ、

中に入るといました例の人、全くお互い会話が成立しないのですが
関係も含め、よくここまで来たものです。
ちょっとはなして、着替える場所に、ここでタオル一丁になります

そして、体を洗う所へ、僕は洗ってましたがあとで洗ってもらったので

もしかしたら10分ここにいて、
蒸気で毛穴を開かせたりなのかもです。
ちょっとしたら戻って来て、場所を移り、大理石の上にマットを敷き

次は垢擦り、結構出ますね
垢擦り自体初ですがびっくりしました、
今回は旅中で体を思いっきりごしごしタオルで洗ってないのでもありますが
で、次はマッサージ、石けんで滑る様にしながら
ゴキゴキやらずに手で圧をかける整体みたいな感じです。
体もだいぶほぐしてもらいました、
で最後に体を洗ってもらい終了、
外に出ると、今度は拭く係の人がふいてくれます。
でその後はタオルを巻きつつ、チャイを飲み話すみたいな感じです。

凄い気持ちよかったですし、ローマ遺跡に行くと大概大浴場跡があるんですが

作りも同じなので、ローマの人も、きっとこんな感じだったんだなって、
なんか、いい経験ができました。
写真は全て後から撮ったので臨場感はありません、
昨日丘の上でその人に会ってから、まさかこんな事になるとは、
写ってるのがその人です、
見つけられないよって言われました。
でも、トライしてみるよっていってバスへ、
完全郊外で不安でしたが、なんとかたどりつけました
入り口はこんな感じ、
中に入るといました例の人、全くお互い会話が成立しないのですが
関係も含め、よくここまで来たものです。
ちょっとはなして、着替える場所に、ここでタオル一丁になります
そして、体を洗う所へ、僕は洗ってましたがあとで洗ってもらったので
もしかしたら10分ここにいて、
蒸気で毛穴を開かせたりなのかもです。
ちょっとしたら戻って来て、場所を移り、大理石の上にマットを敷き
次は垢擦り、結構出ますね
垢擦り自体初ですがびっくりしました、
今回は旅中で体を思いっきりごしごしタオルで洗ってないのでもありますが
で、次はマッサージ、石けんで滑る様にしながら
ゴキゴキやらずに手で圧をかける整体みたいな感じです。
体もだいぶほぐしてもらいました、
で最後に体を洗ってもらい終了、
外に出ると、今度は拭く係の人がふいてくれます。
でその後はタオルを巻きつつ、チャイを飲み話すみたいな感じです。
凄い気持ちよかったですし、ローマ遺跡に行くと大概大浴場跡があるんですが
作りも同じなので、ローマの人も、きっとこんな感じだったんだなって、
なんか、いい経験ができました。
写真は全て後から撮ったので臨場感はありません、
昨日丘の上でその人に会ってから、まさかこんな事になるとは、
写ってるのがその人です、
2010年06月02日
シャンルウルファ1日
シャンルウルファ2日目
明日はネムルトダーウに行くので良いのですが
ぽっかり空いた空白の一日、何しようか迷った挙げ句
昨日までハランって、昔の街に行こうかと思っていたのですが
昨日の待ち合わせの人もいるしな、
だいぶイスタンブールや黒海の地方とは変わったし
仕事としてマーケットも一応のぞいとかないとだしなと思いつつ。
とりあえずご飯を食べに、この街のナンの様な付け合わせのパン美味しいです。
今日は他にもマーケットに良い物あるかもなので一品のみ、

歩いていく途中、クルド人の屋台をやっている人に
レモネードだと思われる物をごちそうになりました。
美味しかったですが、激甘です。
氷が横にあったのでかき氷のシロップかと思いました。
ちょこっと話をして、握手をしてそこは後にして、マーケットへ
(相変わらずトルコ語は分からないので会話と呼べる物ではありませんが)
それからも、声かけられまくり、チャイ飲んでけをくらい続けたんですが、
今回はありがたいですが、全て断り先を急ぐ事に、
で、マーケットに行っては見ましたが、僕的にはこの雰囲気は好きなのですが
売っている物はトルコの人の日用品のみ。
そんななか、ご飯屋さんも、
あの美味しい付け合わせのナンを作ってる所もありました。
そこを撮らせてもらったりしていると、
向のご飯屋さんに魂が呼ばれました。

時々あります、うまい物を嗅ぎ付ける嗅覚が発動する時。
で、結構お腹はいっぱいだったんですが、
この街の有名な食べ物ラフマジュンもあったので食べる事に

思った程全然辛くなかったです、普通にうまい。
で、呼ばれた物はあとで食べに来ようと思っていたところ、
隣りの壷の中に、本当はこれに呼ばれたなってもの発見、
おなか一杯だけど、それでも食べたいからちょっとでいい、
ってトルコ語で必死にいったんだけど、
おっちゃんは写真も撮ってもらって大はしゃぎな感じで普通盛り
でも、肉の煮込みなのですが激うまでした、

食べ終わるとおっちゃんはチャイも頼んでくれごちそうしてくれました。
この時点でハランは時間的に無理になったのでなしに、
結構他の人のインプレッション見ていると、昔は良かったんだけど
今は観光客慣れし過ぎててってのが多かったんで、
あまり乗り気ではなかったのでいいのですが。
タイのアカ族の村も少数民族の村ってふれこみですが
村長いい車で、村は民族衣装きた高いお土産物屋さんでしたし。
何処もそうなのかはわかりませんが、、、、、
で、またマーケット散策、
でも食べ過ぎと、寝不足と、何も買えそうな物が無いのと、熱いので
ふらふらして来ました。
で、倒れるわけにはいかないと思い。
不謹慎かもですが、一番涼しいかと思われるジャーミーの中へ
結構なかでは昼寝している人もいました。
一時間程休ませてもらっていると、お祈りタイム、
邪魔すると悪いので、出る事に、
で具合も良くなって来たので、外の日陰で昼寝、
起きたら待ち合わせの2時間前なので一応場所の確認へ、
で行ったら働いてました昨日の人、
ハラムでマッサージの仕事してるって行ってたのですが、
どうやら朝、夕で昼間は苦いジュース売ってるみたいです
塔の下に来いって言っていた、
昨日の分からなかった会話がやっと成立しました、
で、写真を渡しさよならしようとすると、
昨日の会話はハラムへ来いって事らしい、
ちなみにハラムは中東の銭湯というかサウナです。
何時から戻っているか、場所を聞き、別れて今宿です。
チュニジアでは中まで入ったものの、あまりにもあやし過ぎ断念
今回はその人いるし、行った事無いし、行ってみるかって感じで今ブログを書いています、
時間が近づいてきたので、
では続きは、次のブログハマム体験リポートで、
観光地のでないし、めちゃめちゃローカルなところなんだろうなー
明日はネムルトダーウに行くので良いのですが
ぽっかり空いた空白の一日、何しようか迷った挙げ句
昨日までハランって、昔の街に行こうかと思っていたのですが
昨日の待ち合わせの人もいるしな、
だいぶイスタンブールや黒海の地方とは変わったし
仕事としてマーケットも一応のぞいとかないとだしなと思いつつ。
とりあえずご飯を食べに、この街のナンの様な付け合わせのパン美味しいです。
今日は他にもマーケットに良い物あるかもなので一品のみ、
歩いていく途中、クルド人の屋台をやっている人に
レモネードだと思われる物をごちそうになりました。
美味しかったですが、激甘です。
氷が横にあったのでかき氷のシロップかと思いました。
ちょこっと話をして、握手をしてそこは後にして、マーケットへ
(相変わらずトルコ語は分からないので会話と呼べる物ではありませんが)
それからも、声かけられまくり、チャイ飲んでけをくらい続けたんですが、
今回はありがたいですが、全て断り先を急ぐ事に、
で、マーケットに行っては見ましたが、僕的にはこの雰囲気は好きなのですが
売っている物はトルコの人の日用品のみ。
そんななか、ご飯屋さんも、
あの美味しい付け合わせのナンを作ってる所もありました。
そこを撮らせてもらったりしていると、
向のご飯屋さんに魂が呼ばれました。
時々あります、うまい物を嗅ぎ付ける嗅覚が発動する時。
で、結構お腹はいっぱいだったんですが、
この街の有名な食べ物ラフマジュンもあったので食べる事に
思った程全然辛くなかったです、普通にうまい。
で、呼ばれた物はあとで食べに来ようと思っていたところ、
隣りの壷の中に、本当はこれに呼ばれたなってもの発見、
おなか一杯だけど、それでも食べたいからちょっとでいい、
ってトルコ語で必死にいったんだけど、
おっちゃんは写真も撮ってもらって大はしゃぎな感じで普通盛り
でも、肉の煮込みなのですが激うまでした、
食べ終わるとおっちゃんはチャイも頼んでくれごちそうしてくれました。
この時点でハランは時間的に無理になったのでなしに、
結構他の人のインプレッション見ていると、昔は良かったんだけど
今は観光客慣れし過ぎててってのが多かったんで、
あまり乗り気ではなかったのでいいのですが。
タイのアカ族の村も少数民族の村ってふれこみですが
村長いい車で、村は民族衣装きた高いお土産物屋さんでしたし。
何処もそうなのかはわかりませんが、、、、、
で、またマーケット散策、
でも食べ過ぎと、寝不足と、何も買えそうな物が無いのと、熱いので
ふらふらして来ました。
で、倒れるわけにはいかないと思い。
不謹慎かもですが、一番涼しいかと思われるジャーミーの中へ
結構なかでは昼寝している人もいました。
一時間程休ませてもらっていると、お祈りタイム、
邪魔すると悪いので、出る事に、
で具合も良くなって来たので、外の日陰で昼寝、
起きたら待ち合わせの2時間前なので一応場所の確認へ、
で行ったら働いてました昨日の人、
ハラムでマッサージの仕事してるって行ってたのですが、
どうやら朝、夕で昼間は苦いジュース売ってるみたいです
塔の下に来いって言っていた、
昨日の分からなかった会話がやっと成立しました、
で、写真を渡しさよならしようとすると、
昨日の会話はハラムへ来いって事らしい、
ちなみにハラムは中東の銭湯というかサウナです。
何時から戻っているか、場所を聞き、別れて今宿です。
チュニジアでは中まで入ったものの、あまりにもあやし過ぎ断念
今回はその人いるし、行った事無いし、行ってみるかって感じで今ブログを書いています、
時間が近づいてきたので、
では続きは、次のブログハマム体験リポートで、
観光地のでないし、めちゃめちゃローカルなところなんだろうなー
2010年06月02日
シャンルウルファ31日
次はトルコ最後の見たいポイント
ネムルトダーウにどうアクセスするか
一日昨日ロスした為にイランとの国境の街には
見たい所が休みの様なので行けない事に、なので一個飛ばしで最後です
スミェラが10時発3時着で3時に帰って来て
そのままチェックしていたバス会社へ起点の街は3つあったのですが
2つは昨日聞いていたので、昨日思いついた候補地を先に聞いてみる事に
で、聞いたら今ならまだ間に合うからすぐ電話してやるって運びに
そこじゃなくても良かったし、起点としては一番遠いが
シリア行きには、一番メジャーな国境じゃないもの一番効率はいいかなってところ
で止めるにもトルコ語のみなので止まらず、
そのまませっかくだし何かの縁かと、ご飯も一番うまいって書いてあったし
18時間かーと思いつつ急いでバス停まで送られバスに乗り込む
結局着いたのは次の日の12時過ぎスミェラからいれると
24時間以上バスのなかでした。
トルコ縦断しかも山の地域なので寝ていると
首を持っていかれるくらいのカーブの連続
しかも下りも落ちたら谷底って所を結構なスピード
トラブゾンに泊まるのも、こんな道なのも分かっていれば飛行機にしたのにって感じです。
で、到着して、ネムルトダーウ行きのツアーを探す
(公共の交通機関ではいけない所にあるらしいので)
しかし、歩き方には行けるって書いてあるものの、ツアー会社では土日のみ、
歩き方には他にも宿発のツアーもあるって書いてあったのですが
何処もダメ、いよいよ一泊して逆戻りでネムルトダーウ近くの街に再移動かな
と思っていたのですが、奇跡的に行ける所を発見
明日ではなく明後日しか行かないそうなのですが、
金額は100TL、近くの街からも75TLとかなので
今から移動してもお金も時間も結局同じ事なのでお願いする事に
普通の車で4人で行くそうです、この道20年のベテランガイド付きらしい
結局この街3泊です
ご飯もおいしいし、仕方ないしまー良いかって感じす
ネムルトダーウは外せません
で、洗濯したり、ちょこっとご飯食べにいったり
そういえばバスで食べてないから24時間紅茶しか飲んでなかったです
で、お腹も一杯だし食後の運動に街をぶらぶら
ここの旧市街はもう中東って匂いもあり、古き良き、良い街並です。
トルコの人もアンティークだと勧めるのもうなずけます、
それまでの街は開発で、日本と同じ様に街並を犠牲にしてきているんでしょうね
住みやすさ、ライフスタイルなど考えると、そうなるのも当然なのですが、
街から街への途中にあった、バスから見た寂れた村落はいい感じでしたが、
街に入ると何処も東京などと同じで、
でぶらぶらせづに次から次へと動こうとしていたんだな、
と今になって思います。
ここも観光化しようとしている所は綺麗に整備し過ぎていて
つまらなくなって来てはいましたが。
ローカルな人達の憩いの場所としてはいい感じで機能はしていました。
いろいろ見て回り丘の上へ、
その途中勝手に子供がついて来て、
嘘のガイドをして丘の上で追い返そうとしたら
ご飯食わせろだとか、金よこせって言ってきたのには久々にむかつきました
しかも離れてから石までなげてきて
でまた、丘の上で子供に囲まれたのでうんざりで
夜景を撮りながらイライラをこらえるのに必死だったのですが、
それはいつもの写真撮って攻撃でした、でも30人近くいると
収集もつかないし、みんな口々にトルコ語なので大変でした。
その後その家族の人達も撮ってあげたりして
次の日渡してあげる約束をしました。
しかし言葉がわからないのは大変です。
待ち合わせも果たしてあえるのかって感じです。
急遽この街3泊になってしまったので、ここも楽しもうと思います。

実は今日の一番の収穫はサラダ食べて、新しいドレッシングが分かった事です
これまでは切った野菜にレモンが添えてあるだけで
塩を自分で調節して下にあるオリーブオイルと混ぜてってだけだったのですが
ここのは食べてあれって思わず止まって、厨房の人に聞きにいってしまいました。
言葉がわからないのでかなり苦労しましたが、
原材料も分かり、その加工品も見てなめさせてもらい
どうなってどうなったかやっとわかりました。
どこにフィードバック出来るかなどは分かりませんが、
新たな味が自分にくわわりました。
ブログのアップなどしていて現在朝4時ですが
お祈りの放送が流れています、トルコではこれまでくらわなかったのですが、
もうすこしで中東、ここはもうヨーロッパではない感じです
暑さ含めアウェーの洗礼を受けています、寝てられません。
ネムルトダーウにどうアクセスするか
一日昨日ロスした為にイランとの国境の街には
見たい所が休みの様なので行けない事に、なので一個飛ばしで最後です
スミェラが10時発3時着で3時に帰って来て
そのままチェックしていたバス会社へ起点の街は3つあったのですが
2つは昨日聞いていたので、昨日思いついた候補地を先に聞いてみる事に
で、聞いたら今ならまだ間に合うからすぐ電話してやるって運びに
そこじゃなくても良かったし、起点としては一番遠いが
シリア行きには、一番メジャーな国境じゃないもの一番効率はいいかなってところ
で止めるにもトルコ語のみなので止まらず、
そのまませっかくだし何かの縁かと、ご飯も一番うまいって書いてあったし
18時間かーと思いつつ急いでバス停まで送られバスに乗り込む
結局着いたのは次の日の12時過ぎスミェラからいれると
24時間以上バスのなかでした。
トルコ縦断しかも山の地域なので寝ていると
首を持っていかれるくらいのカーブの連続
しかも下りも落ちたら谷底って所を結構なスピード
トラブゾンに泊まるのも、こんな道なのも分かっていれば飛行機にしたのにって感じです。
で、到着して、ネムルトダーウ行きのツアーを探す
(公共の交通機関ではいけない所にあるらしいので)
しかし、歩き方には行けるって書いてあるものの、ツアー会社では土日のみ、
歩き方には他にも宿発のツアーもあるって書いてあったのですが
何処もダメ、いよいよ一泊して逆戻りでネムルトダーウ近くの街に再移動かな
と思っていたのですが、奇跡的に行ける所を発見
明日ではなく明後日しか行かないそうなのですが、
金額は100TL、近くの街からも75TLとかなので
今から移動してもお金も時間も結局同じ事なのでお願いする事に
普通の車で4人で行くそうです、この道20年のベテランガイド付きらしい
結局この街3泊です
ご飯もおいしいし、仕方ないしまー良いかって感じす
ネムルトダーウは外せません
で、洗濯したり、ちょこっとご飯食べにいったり
そういえばバスで食べてないから24時間紅茶しか飲んでなかったです
で、お腹も一杯だし食後の運動に街をぶらぶら
ここの旧市街はもう中東って匂いもあり、古き良き、良い街並です。
トルコの人もアンティークだと勧めるのもうなずけます、
それまでの街は開発で、日本と同じ様に街並を犠牲にしてきているんでしょうね
住みやすさ、ライフスタイルなど考えると、そうなるのも当然なのですが、
街から街への途中にあった、バスから見た寂れた村落はいい感じでしたが、
街に入ると何処も東京などと同じで、
でぶらぶらせづに次から次へと動こうとしていたんだな、
と今になって思います。
ここも観光化しようとしている所は綺麗に整備し過ぎていて
つまらなくなって来てはいましたが。
ローカルな人達の憩いの場所としてはいい感じで機能はしていました。
いろいろ見て回り丘の上へ、
その途中勝手に子供がついて来て、
嘘のガイドをして丘の上で追い返そうとしたら
ご飯食わせろだとか、金よこせって言ってきたのには久々にむかつきました
しかも離れてから石までなげてきて
でまた、丘の上で子供に囲まれたのでうんざりで
夜景を撮りながらイライラをこらえるのに必死だったのですが、
それはいつもの写真撮って攻撃でした、でも30人近くいると
収集もつかないし、みんな口々にトルコ語なので大変でした。
その後その家族の人達も撮ってあげたりして
次の日渡してあげる約束をしました。
しかし言葉がわからないのは大変です。
待ち合わせも果たしてあえるのかって感じです。
急遽この街3泊になってしまったので、ここも楽しもうと思います。
実は今日の一番の収穫はサラダ食べて、新しいドレッシングが分かった事です
これまでは切った野菜にレモンが添えてあるだけで
塩を自分で調節して下にあるオリーブオイルと混ぜてってだけだったのですが
ここのは食べてあれって思わず止まって、厨房の人に聞きにいってしまいました。
言葉がわからないのでかなり苦労しましたが、
原材料も分かり、その加工品も見てなめさせてもらい
どうなってどうなったかやっとわかりました。
どこにフィードバック出来るかなどは分かりませんが、
新たな味が自分にくわわりました。
ブログのアップなどしていて現在朝4時ですが
お祈りの放送が流れています、トルコではこれまでくらわなかったのですが、
もうすこしで中東、ここはもうヨーロッパではない感じです
暑さ含めアウェーの洗礼を受けています、寝てられません。
2010年06月01日
トラブゾン31日
30日朝、この旅で初めて目覚ましをかける
でも例によって目覚ましが鳴る前には起きるのですが
今日は昨日行けなかったスミェラへ
迫害されたキリスト教徒が隠れて住んでいた所です。
車で結構山奥へ、で崖に張り付く様に建物、それだけでも凄かったのですが

中も壁画の残り具合が凄かったです、
湿度や日にさらされていないのが良いのでしょう、
インディージョーンズのエンディング前のいい感じの音楽が
勝手に頭の中でなってくるくらい凄いです
こう思うとジョージルカース、スピルバーグの作品はどれも音楽もいいなー
って改めて思います。
ここは軽く山登りです、途中で昨日会った修学旅行的な若者に会い
また撮影会で大変だったのですが、、、、、、、
ここは、ガイドブックにも大きく乗っていませんが、
僕的にはトルコの中でもここも世界遺産でもってくらい良かったです。
機会があったら、よかったら行ってみて下さい。
あとびっくりしたのが、たまたま乗り合わせて日本人カップルが岐阜在住だったのですが、
恵比寿講の花火大会に来てうちに寄って、だれかSTAFFと僕のはなしをした事あるそうです
まさかこんな場所で本当にびっくりです。
行き帰りでバスでとなりだった
イランから来たおじいさん3人の一人が英語を話せたので
とバスの中でずっと話をしていたのですが。
イランはどうかと聞くと
国はいいが、リリジン(信仰)が良くないといっていました。
ムスリムでそんな事を言う人は初めて会いました。
みんな、宗教について話したがりますし、
敬虔な人ばかりなのだと思っていたので
その人は自分はムスリムの国、家族に生まれたからムスリムなだけだ
毎日神には感謝しているが、
一日5回のお祈りも合理的ではないししないといっていました。
宗教の事で争いがおきるのもナンセンスだって言っていました。
全ての宗教はどれもすばらしい、今回のキリスト教の教会もビューティフル
自分にとってはアートだといっていました。
グローバルになり、そういう意識が薄れた若者でなく
70越えたひとがそう言うのは凄い事だと思います。
僕もいろんな国のいろんな宗教施設をみていますがその通りだと思います
もう一つの隣りは、イギリス在住のドイツ人だったのですが。
キリスト教、仏教、イスラム教と三人ならんでこんな話ができるのだから
紛争も無くなってくれればと思います。
国としての利害関係を宗教にこじつけてマインドコントロールする。
そんなことが無くなればとおもいます。
そのイランの人の話ではなく、この旅で何度かあった事ですが、
アメリカは嫌われていますね。
僕はアメリカも好きですが、年に1回は行ってますし、
僕が日本人だというとヒロシーマ、ナガサーキとアメリカの悪口が始まります
今回はこの先よりそういう国に行くので、
アメリカ製カメラバックのタグの星条旗は切っておいたのですが。
チュニジアでもアメリカ国旗がその鞄についているが
中身は爆弾かと冗談でよく言われました。
肥沃な土地、枯れた土地、いろいろな意味で資源があって
取り合いになるのもわかりますし、
欲しい物(事)は取りに行く、勝つ事に意味があると思っている
僕が言うのもなんですが、
線は後から人間が作ったものとして、なくなる日が来れば良いと思います
でも例によって目覚ましが鳴る前には起きるのですが
今日は昨日行けなかったスミェラへ
迫害されたキリスト教徒が隠れて住んでいた所です。
車で結構山奥へ、で崖に張り付く様に建物、それだけでも凄かったのですが
中も壁画の残り具合が凄かったです、
湿度や日にさらされていないのが良いのでしょう、
インディージョーンズのエンディング前のいい感じの音楽が
勝手に頭の中でなってくるくらい凄いです
こう思うとジョージルカース、スピルバーグの作品はどれも音楽もいいなー
って改めて思います。
ここは軽く山登りです、途中で昨日会った修学旅行的な若者に会い
また撮影会で大変だったのですが、、、、、、、
ここは、ガイドブックにも大きく乗っていませんが、
僕的にはトルコの中でもここも世界遺産でもってくらい良かったです。
機会があったら、よかったら行ってみて下さい。
あとびっくりしたのが、たまたま乗り合わせて日本人カップルが岐阜在住だったのですが、
恵比寿講の花火大会に来てうちに寄って、だれかSTAFFと僕のはなしをした事あるそうです
まさかこんな場所で本当にびっくりです。
行き帰りでバスでとなりだった
イランから来たおじいさん3人の一人が英語を話せたので
とバスの中でずっと話をしていたのですが。
イランはどうかと聞くと
国はいいが、リリジン(信仰)が良くないといっていました。
ムスリムでそんな事を言う人は初めて会いました。
みんな、宗教について話したがりますし、
敬虔な人ばかりなのだと思っていたので
その人は自分はムスリムの国、家族に生まれたからムスリムなだけだ
毎日神には感謝しているが、
一日5回のお祈りも合理的ではないししないといっていました。
宗教の事で争いがおきるのもナンセンスだって言っていました。
全ての宗教はどれもすばらしい、今回のキリスト教の教会もビューティフル
自分にとってはアートだといっていました。
グローバルになり、そういう意識が薄れた若者でなく
70越えたひとがそう言うのは凄い事だと思います。
僕もいろんな国のいろんな宗教施設をみていますがその通りだと思います
もう一つの隣りは、イギリス在住のドイツ人だったのですが。
キリスト教、仏教、イスラム教と三人ならんでこんな話ができるのだから
紛争も無くなってくれればと思います。
国としての利害関係を宗教にこじつけてマインドコントロールする。
そんなことが無くなればとおもいます。
そのイランの人の話ではなく、この旅で何度かあった事ですが、
アメリカは嫌われていますね。
僕はアメリカも好きですが、年に1回は行ってますし、
僕が日本人だというとヒロシーマ、ナガサーキとアメリカの悪口が始まります
今回はこの先よりそういう国に行くので、
アメリカ製カメラバックのタグの星条旗は切っておいたのですが。
チュニジアでもアメリカ国旗がその鞄についているが
中身は爆弾かと冗談でよく言われました。
肥沃な土地、枯れた土地、いろいろな意味で資源があって
取り合いになるのもわかりますし、
欲しい物(事)は取りに行く、勝つ事に意味があると思っている
僕が言うのもなんですが、
線は後から人間が作ったものとして、なくなる日が来れば良いと思います
2010年06月01日
トラブゾン29日
バスの故障に始まり
泊まる予定の無かった街ですが、観光地に行かないといつものこんな感じです
勇気とか、いろいろな危機予測、経験は必要なのかもしれませんが、
これまでは、見たい世界遺産巡りだったので感動はあるものの
ガイドブックをたどってる旅ともいえるので、あっさりだったのですが
今日はたのしい一日となりました
まだまだ、先は長いし見たい所も沢山あるし限られた時間の中なので
旅の行程は駆け足にはなっていくのですが
明日は本来見たかった、崖にあるキリスト教の僧院スミェラへ
泊まる予定の無かった街ですが、観光地に行かないといつものこんな感じです
勇気とか、いろいろな危機予測、経験は必要なのかもしれませんが、
これまでは、見たい世界遺産巡りだったので感動はあるものの
ガイドブックをたどってる旅ともいえるので、あっさりだったのですが
今日はたのしい一日となりました
まだまだ、先は長いし見たい所も沢山あるし限られた時間の中なので
旅の行程は駆け足にはなっていくのですが
明日は本来見たかった、崖にあるキリスト教の僧院スミェラへ
2010年06月01日
トラブゾン29日 ADULTS ONLY
日も暮れて29日はまだ続きます
この街はロシアやコーカサスの方から出稼ぎ(売春)
に来ている人が多いらしいので、
何処にあるのか探しに、街の裏通りなど探検、
なんとなく色んな国で見ている嗅覚で
ターミナルの方には幹線道路の裏通りにそれらしき所を発見
微妙にネオンがピンクだし、
店なのにカーテンもちょっと空いた感じでしまってるし
とりあえず入ってチャイを飲んでみました、
3人ほどそれらしき人はいましたが
僕が貧乏そうだからかシステムがあるのか
何もコンタクトはとってこないので出る事に、
でたらトルコ人の若者に声かけられ話しをするとやっぱりそうみたい。
で向かいのバーに入ってみる事に
入ろうと思うと門番みたいな人に止められました
が、中の女の子、というかその店の縄張りのボス的な感じの女の人に、
面白い頭ねー入っておいでよみたいな感じで
呼び止められ、(定かではありません)
門番もそれなら仕方ないかみたいな感じで入れてくれました。
その人はロシアから、みんなコーカサスやそっち方面から
黒海を越えて来ているそうです。
その人はロシア的美人でしたが、アラブに近いからなのか、
日本人的にはマイノリティーかと思われる
太ったおばちゃんもいっぱい居ました、
アラブではこういう人がモテモテらしいです、実際チュニジアでもそうでした。
その人だけ英語が話せたのでいろいろ20分程話をしていると。
その人の携帯電話が鳴り、仕事だと言って席をたったので
スパシーバ、ダスビダーニアと言うとびっくりしていましたが
向こうもビダーニアといって出て行きました。
中には誰も話せる人がいなくなり、
出て行こうとすると写真撮ろうって皆に言われ、それを終え外へ出ました
時間も大分潰せたので戻ろうかと思い幹線道路にでてミニバスをひろい街へ
帰る途中街の中心のちょっと手前でまた怪しい店発見!
朝バスでついて街の中心に行ったときはしまっていたのですが、
なんかカフェって書いてあるのに、ごつい門番が、
でまた、突撃してみる事に、
そこも門番に止められたのですが
また中の女の人に、いいよいいよっていわれ中に入れる事に、
そこには幹線道路沿いみたいに数人ではなく、凄くいっぱいいました。
でも店が終わりのようで、みんな帰る所
女の人はいいから座れ、いいから座れといってきましたが
さすがにマンツーマンは怖いので、
クローズだから悪いと言ってでました。
でちょっと、歩くと今度はディスコ的なお店が、
そこは入るつもりは無かったのですが、
今から行くぞってトルコ人5人に、一緒にいこうぜって感じで呼び止められ
まあ良いかと思い中へ、そこは結構しっかりしていて荷物預けてその先へ
何も無いフロアーの先にひっそりとある階段をおり
また先の何もなさそうなドアを開けまた下へ
ありました、行った事無い時代の昔のディスコ、
ミラーボールと爆音
そこは踊るというより女の子を選びに行く所ですが、
席に着くと飲み物やらフルーツやらナッツやら
僕はアルコールは飲め無いといって、割物のレッドブルを飲んでました
トルコのレッドブル、クロコダイルってのもありました。
男と女とテーブルは別れていて、始めは男5人でいろいろ話をしてました
まー全員トルコ語のみなので何となくしかわかりませんが
でシステム的には
ボーイの人にいって気に入った人がいると連れて来てもらうようです
そのうちみんな女の子呼んで女の子が間に入りました。
日本人の僕的には、
えっ、かわいい子いっぱいいるのに、
値段一緒なのにそこいくのってチョイスです
文化や環境の違いって凄いですね。
結局僕が選ばないので女の子が、友達呼んだりで何人かきたりしたのですが
僕的には、モデルみたいなロシア美人もいるのに
なんでその子って怪物的な人ばっかり呼ばれてきます
まーどっちにせよ、いく気はないのですが、
女の子は英語が話せる子もいたのでシステムもわかりました。
女子はWHY ナニガ、プロブレムダってずっといっていました。
結局トルコ人達は話もまとまり女の子を連れて店を出る事に
でバイバイしました
地球の歩き方には、安宿の一部は売春宿だから気をつけろって
書いてありましたが、昔はロビーに女の子がいてって作りにはなっていますが
今は女の子は何処にもおらず、おっちゃんがテレビを見ているのみです。
今回はそんな裏路地の、みるからにそんな宿に10ドルで泊まってみました
よその国みたいにノックして来る人もおらず、平和に朝を迎えました。
ディスコでは市場で食べてみたかった
トルコのフルーツがいろいろ食べれらてよかったです。
この街はロシアやコーカサスの方から出稼ぎ(売春)
に来ている人が多いらしいので、
何処にあるのか探しに、街の裏通りなど探検、
なんとなく色んな国で見ている嗅覚で
ターミナルの方には幹線道路の裏通りにそれらしき所を発見
微妙にネオンがピンクだし、
店なのにカーテンもちょっと空いた感じでしまってるし
とりあえず入ってチャイを飲んでみました、
3人ほどそれらしき人はいましたが
僕が貧乏そうだからかシステムがあるのか
何もコンタクトはとってこないので出る事に、
でたらトルコ人の若者に声かけられ話しをするとやっぱりそうみたい。
で向かいのバーに入ってみる事に
入ろうと思うと門番みたいな人に止められました
が、中の女の子、というかその店の縄張りのボス的な感じの女の人に、
面白い頭ねー入っておいでよみたいな感じで
呼び止められ、(定かではありません)
門番もそれなら仕方ないかみたいな感じで入れてくれました。
その人はロシアから、みんなコーカサスやそっち方面から
黒海を越えて来ているそうです。
その人はロシア的美人でしたが、アラブに近いからなのか、
日本人的にはマイノリティーかと思われる
太ったおばちゃんもいっぱい居ました、
アラブではこういう人がモテモテらしいです、実際チュニジアでもそうでした。
その人だけ英語が話せたのでいろいろ20分程話をしていると。
その人の携帯電話が鳴り、仕事だと言って席をたったので
スパシーバ、ダスビダーニアと言うとびっくりしていましたが
向こうもビダーニアといって出て行きました。
中には誰も話せる人がいなくなり、
出て行こうとすると写真撮ろうって皆に言われ、それを終え外へ出ました
時間も大分潰せたので戻ろうかと思い幹線道路にでてミニバスをひろい街へ
帰る途中街の中心のちょっと手前でまた怪しい店発見!
朝バスでついて街の中心に行ったときはしまっていたのですが、
なんかカフェって書いてあるのに、ごつい門番が、
でまた、突撃してみる事に、
そこも門番に止められたのですが
また中の女の人に、いいよいいよっていわれ中に入れる事に、
そこには幹線道路沿いみたいに数人ではなく、凄くいっぱいいました。
でも店が終わりのようで、みんな帰る所
女の人はいいから座れ、いいから座れといってきましたが
さすがにマンツーマンは怖いので、
クローズだから悪いと言ってでました。
でちょっと、歩くと今度はディスコ的なお店が、
そこは入るつもりは無かったのですが、
今から行くぞってトルコ人5人に、一緒にいこうぜって感じで呼び止められ
まあ良いかと思い中へ、そこは結構しっかりしていて荷物預けてその先へ
何も無いフロアーの先にひっそりとある階段をおり
また先の何もなさそうなドアを開けまた下へ
ありました、行った事無い時代の昔のディスコ、
ミラーボールと爆音
そこは踊るというより女の子を選びに行く所ですが、
席に着くと飲み物やらフルーツやらナッツやら
僕はアルコールは飲め無いといって、割物のレッドブルを飲んでました
トルコのレッドブル、クロコダイルってのもありました。
男と女とテーブルは別れていて、始めは男5人でいろいろ話をしてました
まー全員トルコ語のみなので何となくしかわかりませんが
でシステム的には
ボーイの人にいって気に入った人がいると連れて来てもらうようです
そのうちみんな女の子呼んで女の子が間に入りました。
日本人の僕的には、
えっ、かわいい子いっぱいいるのに、
値段一緒なのにそこいくのってチョイスです
文化や環境の違いって凄いですね。
結局僕が選ばないので女の子が、友達呼んだりで何人かきたりしたのですが
僕的には、モデルみたいなロシア美人もいるのに
なんでその子って怪物的な人ばっかり呼ばれてきます
まーどっちにせよ、いく気はないのですが、
女の子は英語が話せる子もいたのでシステムもわかりました。
女子はWHY ナニガ、プロブレムダってずっといっていました。
結局トルコ人達は話もまとまり女の子を連れて店を出る事に
でバイバイしました
地球の歩き方には、安宿の一部は売春宿だから気をつけろって
書いてありましたが、昔はロビーに女の子がいてって作りにはなっていますが
今は女の子は何処にもおらず、おっちゃんがテレビを見ているのみです。
今回はそんな裏路地の、みるからにそんな宿に10ドルで泊まってみました
よその国みたいにノックして来る人もおらず、平和に朝を迎えました。
ディスコでは市場で食べてみたかった
トルコのフルーツがいろいろ食べれらてよかったです。
2010年06月01日
トラブゾン29日トルコの洗礼2
そしてボステペ、街の高台へ
街が見下ろせる凄く綺麗な所でした
若者達も何組みかいたのですが、今度は一緒に写真撮ろう攻撃
一回撮り始めると私も私もと結局全員と撮ったかもです、
女の子もイスラム教じゃないのかなってくらい近寄って来るので
体があたっても大丈夫なのかと、こっちがびっくりします
まートルコにはこんな頭した人はいないし
そしてひとえな人もいないのでしょう、
女の子はビューティフル、といって目を横にひっぱります。
ちょっとしたアイドルです。
やっと全員と撮り終え落ち着いたかと思いきや
今度は4、50人の修学旅行みたいな若者が、、、、、、、、、、、
でまた始まってしまいました
せっかく夕日見に来たのに俺撮らずに夕日撮らないとってくらい
こっちばっかりとっています、
僕は一緒に撮るかたわら夕日もばっちりとりました

黒海に沈む夕日も凄く綺麗でした

終わってからも何度も一緒に写真を撮って
また、街に帰りました
街が見下ろせる凄く綺麗な所でした
若者達も何組みかいたのですが、今度は一緒に写真撮ろう攻撃
一回撮り始めると私も私もと結局全員と撮ったかもです、
女の子もイスラム教じゃないのかなってくらい近寄って来るので
体があたっても大丈夫なのかと、こっちがびっくりします
まートルコにはこんな頭した人はいないし
そしてひとえな人もいないのでしょう、
女の子はビューティフル、といって目を横にひっぱります。
ちょっとしたアイドルです。
やっと全員と撮り終え落ち着いたかと思いきや
今度は4、50人の修学旅行みたいな若者が、、、、、、、、、、、
でまた始まってしまいました
せっかく夕日見に来たのに俺撮らずに夕日撮らないとってくらい
こっちばっかりとっています、
僕は一緒に撮るかたわら夕日もばっちりとりました
黒海に沈む夕日も凄く綺麗でした
終わってからも何度も一緒に写真を撮って
また、街に帰りました
2010年06月01日
トラブゾン29日トルコの洗礼
これまで順調にきていたのですが
朝トラブゾンの15キロ程手前でバスが故障、
到着が2時間程おくれ行きたかった場所に今日行けない事に
それでプラン変更で市内を観光する事に、
取りあえず中心地を歩き回り、
ミニバスでアヤソフィアへ黒海の見えるいい景色な教会でした
中の壁画も素晴らしかったです、

ところで、アヤソフィア、ノートルダム、サンタマリアは同じ意味でしょうか
モスク、ジャーミーもいろんな所にあって名前が同じなので
で横にあったヨーロッパのリゾートの様なカフェでネットにつなぎ
店とやりとりしつつちょっとゆっくり
そして、またミニバスでオルタヒサルへ
ついて下ろされたものの、、、、、、、、、何処?
待ち行く人に聞いてみるとここら一帯がそうなようで
ここって場所はないみたい、城壁や近くの建物などを見つつ
たぶん3、4キロ程なので、
また街の中心地に歩いてぼちぼち戻る事にしました
市場があったので見に寄ってみる事に、
その野菜も果物も良い色で美味しそうです




そんな感じで野菜など写真を撮っていると
トルコ来てからすごいのですが、俺を撮れ攻撃、
撮って見せてあげると、メールで送ってくれでアドレスを聞く
で、ちょっと話をしているとチャイが運ばれてくる、
一軒ごとにこんな感じなので全く前に進みません
八百屋の気のいいにーちゃんは郵便で送ってくれと住所を書くのですが、
難しいし届く自信が無いので写真屋さんを聞き、すぐプリントしてあげる事に
すぐには無理だったのでデータだけ置いて後日撮りに言ってもらう事にしました
そんなことしながら話をしていると、手の入れ墨に漢字らしき物が
手首から肘まで大きく書いてあって、何処でなんて入れたのか聞くと
日本語で自分の名前が入れてあると言います
日本人だけど読めないよって言っていいのか考えていると
不穏な空気に、、、、、、、、にーちゃんは悲しそうです
間違っているのかと聞くので、
漢字だから日本人は一文字づつの意味は分かるけど中国語なのかな
って返すのですが日本語と頑なにいいます。
そんな事言われてもよめないですが、、、、、、、、、
最終的ににーちゃんは、入れた所に殺しに行く的な事を言ってました。
そこではケバブももらいました。
トラブゾンは大きいパンもゆうめいな所なので
釜焼きのパン屋さんでお願いして、写真も撮らせてもらいました

焼いてる所とかは動画の方が伝わると思うので見たい方はカウンターででも
その後海辺で魚を食べようと思い港の方をまわる事に
そこでも魚屋さんで同じ事がくりかえされ、、、、、、、


その時点でチャイを20杯近く頂いたと思います
トルコでは角砂糖を2個程入れる様なのですが
このままでは糖尿になるのではと思い、
途中からいれずにのもうとしていたのですが
馬鹿だな日本人こうやって飲むんだよってわざわざやってくれます
結局魚を食べられる所に辿り着いた頃には、お腹は結構いい感じ
でも黒海の魚も食べねばと思い頼んで半分食べて半分は持ち帰りました

あとは300メートルほど坂を登れば中心地です
でも坂の途中にパンとぐるぐる飴を売っているいい感じのおじいさんが

で写真を撮らせてもらっていると
座ってけと言われまた話をしつつチャイを頂きました
そこでは近くに英語を話せる人がいたのでおじいさんの事
日本の事などを30分以上話していたと思います
チャイも3杯も頂いてしまいました。

夕日の時間に高台に行きたかったのでそろそろと言うと
帰りにごまのパンも2ついただきました
商売のものだから買うよとお金を出すのですが全然うけとってくれません
地方に来て観光地じゃない所なので変な頭をしてカメラを片手なのが
みんな興味深いのでしょうか、昔のタイみたいです
ここに来て初めて、聞いていたトルコの暖かさ、
チャイ飲んでけを味わいました
今日の話ほとんどトルコ語で片言の英語が話せる人がたまにいて
って感じなので、あまり内容は定かではありません。
何処の国でも言葉よりも気合いと笑顔ですね
朝トラブゾンの15キロ程手前でバスが故障、
到着が2時間程おくれ行きたかった場所に今日行けない事に
それでプラン変更で市内を観光する事に、
取りあえず中心地を歩き回り、
ミニバスでアヤソフィアへ黒海の見えるいい景色な教会でした
中の壁画も素晴らしかったです、
ところで、アヤソフィア、ノートルダム、サンタマリアは同じ意味でしょうか
モスク、ジャーミーもいろんな所にあって名前が同じなので
で横にあったヨーロッパのリゾートの様なカフェでネットにつなぎ
店とやりとりしつつちょっとゆっくり
そして、またミニバスでオルタヒサルへ
ついて下ろされたものの、、、、、、、、、何処?
待ち行く人に聞いてみるとここら一帯がそうなようで
ここって場所はないみたい、城壁や近くの建物などを見つつ
たぶん3、4キロ程なので、
また街の中心地に歩いてぼちぼち戻る事にしました
市場があったので見に寄ってみる事に、
その野菜も果物も良い色で美味しそうです
そんな感じで野菜など写真を撮っていると
トルコ来てからすごいのですが、俺を撮れ攻撃、
撮って見せてあげると、メールで送ってくれでアドレスを聞く
で、ちょっと話をしているとチャイが運ばれてくる、
一軒ごとにこんな感じなので全く前に進みません
八百屋の気のいいにーちゃんは郵便で送ってくれと住所を書くのですが、
難しいし届く自信が無いので写真屋さんを聞き、すぐプリントしてあげる事に
すぐには無理だったのでデータだけ置いて後日撮りに言ってもらう事にしました
そんなことしながら話をしていると、手の入れ墨に漢字らしき物が
手首から肘まで大きく書いてあって、何処でなんて入れたのか聞くと
日本語で自分の名前が入れてあると言います
日本人だけど読めないよって言っていいのか考えていると
不穏な空気に、、、、、、、、にーちゃんは悲しそうです
間違っているのかと聞くので、
漢字だから日本人は一文字づつの意味は分かるけど中国語なのかな
って返すのですが日本語と頑なにいいます。
そんな事言われてもよめないですが、、、、、、、、、
最終的ににーちゃんは、入れた所に殺しに行く的な事を言ってました。
そこではケバブももらいました。
トラブゾンは大きいパンもゆうめいな所なので
釜焼きのパン屋さんでお願いして、写真も撮らせてもらいました
焼いてる所とかは動画の方が伝わると思うので見たい方はカウンターででも
その後海辺で魚を食べようと思い港の方をまわる事に
そこでも魚屋さんで同じ事がくりかえされ、、、、、、、
その時点でチャイを20杯近く頂いたと思います
トルコでは角砂糖を2個程入れる様なのですが
このままでは糖尿になるのではと思い、
途中からいれずにのもうとしていたのですが
馬鹿だな日本人こうやって飲むんだよってわざわざやってくれます
結局魚を食べられる所に辿り着いた頃には、お腹は結構いい感じ
でも黒海の魚も食べねばと思い頼んで半分食べて半分は持ち帰りました
あとは300メートルほど坂を登れば中心地です
でも坂の途中にパンとぐるぐる飴を売っているいい感じのおじいさんが
で写真を撮らせてもらっていると
座ってけと言われまた話をしつつチャイを頂きました
そこでは近くに英語を話せる人がいたのでおじいさんの事
日本の事などを30分以上話していたと思います
チャイも3杯も頂いてしまいました。
夕日の時間に高台に行きたかったのでそろそろと言うと
帰りにごまのパンも2ついただきました
商売のものだから買うよとお金を出すのですが全然うけとってくれません
地方に来て観光地じゃない所なので変な頭をしてカメラを片手なのが
みんな興味深いのでしょうか、昔のタイみたいです
ここに来て初めて、聞いていたトルコの暖かさ、
チャイ飲んでけを味わいました
今日の話ほとんどトルコ語で片言の英語が話せる人がたまにいて
って感じなので、あまり内容は定かではありません。
何処の国でも言葉よりも気合いと笑顔ですね
2010年06月01日
2010年06月01日
ホットシャワー シャンルウルファ
タイの安宿などでは始めから水しか出ない所も多い
ホットシャワーが出る部屋は、少し高かったりする。共同シャワーはまず水しかでません
まー水といっても、ぬるいので始めは冷たいが慣れて来ると気持ちよくて、
シャワーから出ると暑くて丁度きもちいいんですが、
安宿での話です、クーラー付きの室内にバスダブまである所は逆にホットシャワーでないとです。
で、トルコでの話ですが、これまでホットシャワーって言っているのに出たとこありませんでした。
安宿なんで仕方ないかもですが、なら水のみって始めから言っくれればと思います。
入る時間も考えるので
昼間入る分にはなんとかなるのですが、
バス泊の後で凄く入りたいのに夜チェックインしたときとかは
水だとトルコでは寒くて浴びれません。
現在の街は暑いです、水のみでも充分入れます、
でも、ここの宿は熱すぎるくらいのシャワーが出ます、水をうまく混ぜないと火傷しそう
なぜなら、昨日屋上にあがったのですがソーラーお湯システムがありました。
きっと太陽が強いからいくらでも熱くなるのだと思います
部屋には暖房もついているので、冬は寒くなるのでしょう、
で冬はお湯は温かいのか、どうなのでしょう、、、、、
欲しい時に欲しいものはなく、いらない時には余っている、
トルコでこれまでの所はと思うと四季ののある国の冬の安宿は怖いですね
チュニジアは秋の終わりでも、おおむね良いお湯が出ましたが
ホットシャワーが出る部屋は、少し高かったりする。共同シャワーはまず水しかでません
まー水といっても、ぬるいので始めは冷たいが慣れて来ると気持ちよくて、
シャワーから出ると暑くて丁度きもちいいんですが、
安宿での話です、クーラー付きの室内にバスダブまである所は逆にホットシャワーでないとです。
で、トルコでの話ですが、これまでホットシャワーって言っているのに出たとこありませんでした。
安宿なんで仕方ないかもですが、なら水のみって始めから言っくれればと思います。
入る時間も考えるので
昼間入る分にはなんとかなるのですが、
バス泊の後で凄く入りたいのに夜チェックインしたときとかは
水だとトルコでは寒くて浴びれません。
現在の街は暑いです、水のみでも充分入れます、
でも、ここの宿は熱すぎるくらいのシャワーが出ます、水をうまく混ぜないと火傷しそう
なぜなら、昨日屋上にあがったのですがソーラーお湯システムがありました。
きっと太陽が強いからいくらでも熱くなるのだと思います
部屋には暖房もついているので、冬は寒くなるのでしょう、
で冬はお湯は温かいのか、どうなのでしょう、、、、、
欲しい時に欲しいものはなく、いらない時には余っている、
トルコでこれまでの所はと思うと四季ののある国の冬の安宿は怖いですね
チュニジアは秋の終わりでも、おおむね良いお湯が出ましたが
2010年06月01日
現在シリアとの国境の街シャンルウルファ31日18時35分
日記とはちょっと日付は飛びますが朝から
イスラエルがどうのってニュースでやってて、そのイスラエルって言葉しか聞き取れないのですが
トルコの人はみんな怒っています
調べてみるとこんな事があったらしい
【5月31日 AFP】(一部更新、写真追加)イスラエルによって封鎖されているパレスチナ自治区ガザ地区(Gaza Strip)へ支援物資や援助活動家らを運んでいた支援船団6隻のうちの少なくとも1隻が31日、イスラエル特殊部隊の強襲を受け、イスラエル軍の発表によると少なくとも10人が死亡した。
船団結成に関与したトルコの人道支援団体IHH(Foundation of Humanitarian Relief)のガザ支部はAFPの電話取材に対し、強襲を受けたのはトルコ船籍の船で、トルコ人を中心に15人が死亡したと語った。
一方、パレスチナのイスラム原理主義組織ハマス(Hamas)が運営するアルアクサ(Al-Aqsa)テレビは、死者は20人に上ると報じている。同テレビは、黒服のイスラエル軍兵士がヘリから船へ降下して船上で活動家たちと衝突する様子や、船の甲板に倒れている負傷者の様子を放映した。
イスラエルの民放チャンネル10(channel 10)によると、攻撃したのはイスラエル海軍の特殊部隊で、船の乗客らから斧(おの)やナイフで反撃されたため発砲したという。
船団は、建材などの支援物資約1万トンや活動家ら約700人を乗せ、31日午前にガザ沿岸の封鎖海域に到達する見通しだった。
トルコ外務省はただちにイスラエル大使を呼び、強く抗議。「イスラエルの非人道的な行動を厳しく非難する」「公海上で発生し、国際法違反に相当するこの遺憾な出来事は、2国間関係に取り返しのつかない結果をもたらしかねない」とする声明を発表した。(c)AF
[アンカラ 31日 ロイター] トルコは31日、イスラエル軍がパレスチナ自治区ガザへの支援物資を積んだパレスチナ支援団体の船団を拿捕したことを受け、イスラエルとの合同軍事演習を中止すると発表した。またこの事件に関して国連安全保障理事会の緊急会合の招集を要請した。
トルコのアルンチ副首相はテレビ放映された演説で「今回の攻撃は、イスラエル政府の暴力的な政策が見境のない水準に達したことを示している」とし「イスラエルに対し最大限の非難を行う」と述べた。
また、この事件に関し国連安全保障理事会の緊急会合の招集を要請したことも明らかにした。トルコは現在、安保理の非常任理事国。
また、トルコは駐イスラエル大使を召還し、計画されていた3回のイスラエルとの合同軍事演習を中止したと発表。拿捕された船舶の即時開放を要求し、トルコが負傷者のなかに含まれるトルコ国民を飛行機で帰国させることができるよう要請したと述べた。
支援船団にはトルコの人権保護団体も参加。6隻の船舶からなる船団のうち1隻をイスラエル軍が攻撃した際、少なくとも10人が死亡した。
アルンチ副首相によると、攻撃を受けたトルコ船籍の「マビ・マラマラ」号に乗っていた約600人のうち最大400人はトルコ人。
中南米を公式訪問中だったエルドアン首相は事件を受け、急遽帰国の途に着いた。
トルコ人はみんな凄く怒っています。
経済封鎖をしているのに、勝手に持って行かれると困るし
船をとめる時ナイフや斧で抵抗されれば、現場の人は打つしか無いしなのでしょうが、、、、、、
これ以上死者がでず、自体が緊迫して報復とかない事を祈ります。
行きたい所にいけずご飯がうまいって書いてあった理由だけで来たこの街
久々にゆっくりしようかと思い天気もいいし洗濯などしてみましたが、
トランクスを洗って干しに行き、靴下を洗って干しに行き、Tシャツを洗って干しに行ったら
トランクスはもう乾いていました、、、、、

天気はいいし、ご飯もうまいし、何処の国も個人ではみんなやさしいのに、、、、
この街はこれからのシリア、ヨルダン、イスラエル、レバノン、エジプトが不安になるくらい暑いです
イスラエルがどうのってニュースでやってて、そのイスラエルって言葉しか聞き取れないのですが
トルコの人はみんな怒っています
調べてみるとこんな事があったらしい
【5月31日 AFP】(一部更新、写真追加)イスラエルによって封鎖されているパレスチナ自治区ガザ地区(Gaza Strip)へ支援物資や援助活動家らを運んでいた支援船団6隻のうちの少なくとも1隻が31日、イスラエル特殊部隊の強襲を受け、イスラエル軍の発表によると少なくとも10人が死亡した。
船団結成に関与したトルコの人道支援団体IHH(Foundation of Humanitarian Relief)のガザ支部はAFPの電話取材に対し、強襲を受けたのはトルコ船籍の船で、トルコ人を中心に15人が死亡したと語った。
一方、パレスチナのイスラム原理主義組織ハマス(Hamas)が運営するアルアクサ(Al-Aqsa)テレビは、死者は20人に上ると報じている。同テレビは、黒服のイスラエル軍兵士がヘリから船へ降下して船上で活動家たちと衝突する様子や、船の甲板に倒れている負傷者の様子を放映した。
イスラエルの民放チャンネル10(channel 10)によると、攻撃したのはイスラエル海軍の特殊部隊で、船の乗客らから斧(おの)やナイフで反撃されたため発砲したという。
船団は、建材などの支援物資約1万トンや活動家ら約700人を乗せ、31日午前にガザ沿岸の封鎖海域に到達する見通しだった。
トルコ外務省はただちにイスラエル大使を呼び、強く抗議。「イスラエルの非人道的な行動を厳しく非難する」「公海上で発生し、国際法違反に相当するこの遺憾な出来事は、2国間関係に取り返しのつかない結果をもたらしかねない」とする声明を発表した。(c)AF
[アンカラ 31日 ロイター] トルコは31日、イスラエル軍がパレスチナ自治区ガザへの支援物資を積んだパレスチナ支援団体の船団を拿捕したことを受け、イスラエルとの合同軍事演習を中止すると発表した。またこの事件に関して国連安全保障理事会の緊急会合の招集を要請した。
トルコのアルンチ副首相はテレビ放映された演説で「今回の攻撃は、イスラエル政府の暴力的な政策が見境のない水準に達したことを示している」とし「イスラエルに対し最大限の非難を行う」と述べた。
また、この事件に関し国連安全保障理事会の緊急会合の招集を要請したことも明らかにした。トルコは現在、安保理の非常任理事国。
また、トルコは駐イスラエル大使を召還し、計画されていた3回のイスラエルとの合同軍事演習を中止したと発表。拿捕された船舶の即時開放を要求し、トルコが負傷者のなかに含まれるトルコ国民を飛行機で帰国させることができるよう要請したと述べた。
支援船団にはトルコの人権保護団体も参加。6隻の船舶からなる船団のうち1隻をイスラエル軍が攻撃した際、少なくとも10人が死亡した。
アルンチ副首相によると、攻撃を受けたトルコ船籍の「マビ・マラマラ」号に乗っていた約600人のうち最大400人はトルコ人。
中南米を公式訪問中だったエルドアン首相は事件を受け、急遽帰国の途に着いた。
トルコ人はみんな凄く怒っています。
経済封鎖をしているのに、勝手に持って行かれると困るし
船をとめる時ナイフや斧で抵抗されれば、現場の人は打つしか無いしなのでしょうが、、、、、、
これ以上死者がでず、自体が緊迫して報復とかない事を祈ります。
行きたい所にいけずご飯がうまいって書いてあった理由だけで来たこの街
久々にゆっくりしようかと思い天気もいいし洗濯などしてみましたが、
トランクスを洗って干しに行き、靴下を洗って干しに行き、Tシャツを洗って干しに行ったら
トランクスはもう乾いていました、、、、、

天気はいいし、ご飯もうまいし、何処の国も個人ではみんなやさしいのに、、、、
この街はこれからのシリア、ヨルダン、イスラエル、レバノン、エジプトが不安になるくらい暑いです